映画「ジュラシックパーク」脚本や演出についてネタバレ解説

ジュラシック・パーク/ワールド シリーズ

初めまして

今回は映画『ジュラシックパーク』についてネタバレありで解説していきたいと思います、この記事を読めば脚本の構造やスピルバーグの演出について分かるようになっています

以下ネタバレありです

脚本

まずは『ジュラシックパーク』の脚本について解説していきたいと思います、この映画は二人の人物の成長物語がメインで描かれています、一人は主人公のグラント博士、もう一人はジョン・ハモンドです

グラント博士のストーリーを簡単にまとめると彼が子供嫌いを克服する物語です、スピルバーグの一貫したテーマに父親の物語があります

彼は子供時代に両親の離婚を経験しており父親が彼のもとから去っています、その時のつらい思い出が彼の作品に大きな影響を与えており、父親を描いた作品が多いのもその事が原因だと言われています

なのでこの映画では原作にはない父親の物語がメインストーリーになっています

序盤でグラント博士は恐竜を馬鹿にした子供に対してラプトルのかぎづめを使って恐竜の説明しながら怖がらせるシーンがあります

このように物語の序盤、彼は子供相手にむきになる幼稚な大人として描かれます、そして彼の恋人であるサトラ博士はグラント博士と結婚したいので、子供嫌いを直してほしいのですが彼はなかなか変わろうとしません

しかしその後パークの事故により子供達を守らなければいけない状況になった事で、グラント博士の内面も変化し始めます

物語後半グラント博士はずっと持っていたかぎづめを捨てます、このシーンはグラント博士が子供嫌いを克服し成長した事を爪を捨てる事で表現しています

またそれによって彼は父親になる資格を得る事が出来たのです

ラストシーンは海の上を飛んでいく鳥をグラント博士が眺めている場面で終わります

恐竜は進化して鳥になったと言われています、なのでこのシーンは博士が成長を経て進化したことを鳥の飛翔で表現しているのでしょう

次にもう一人のジョン・ハモンドについても解説します、彼のストーリーは夢よりも家族を選ぶまでの物語です

スピルバーグはかつて『未知との遭遇』で家族よりも夢を選ぶ事を肯定しています

しかし後のインタビューでは「あれは若気の至りだった、夢のために家族を捨てるなんて今の僕には考えられない」と語っています、ハモンドの物語はおそらくその反省から作られています

物語の序盤でハモンドは夢をかなえる事と自分の夢にみんなが共感してくれることを望んでいますが、恐竜を復活させることの危険性を危惧して誰も彼に賛同してくれません

この周りの反応にハモンドはずっとイライラしています、このように彼もグラント博士同様、幼稚な大人として描かれています

しかし自分の造った恐竜のせいで孫たちを失うかもしれなくなった事で、夢を捨てて家族を守る事を決意します

『ジュラシックパーク』にはハモンドが自らの夢を語りながら人に食事を出す場面が何度かあります、しかしよくよく見ると誰も口をつけていません

映画において食事シーンはお互いの親密度を表してる場合が多いです、なので『ジュラシックパーク』の食事シーンでは誰もハモンドに共感してない事を表現していると思われます

しかし一度だけ登場人物がハモンドと食事を共にするシーンがあります、それがアイスクリームのシーンです

この場面ではハモンドはサトラ博士と会話しながら一人でアイスを食べているのですが、大惨事が起きて死人も出ているのに相変わらず彼は自分の夢の話ばかりしています

しかしそれを聞いていたサトラ博士の「今大切なのは 愛する人達の事でしょう!」の一言でハモンドは目が覚めます

ハモンドが変わり始めたこの場面、初めてサトラ博士はアイスクリームを一緒に食べます、このシーンは彼が成長した事でようやく周りから共感してもらえるようになれた事を表しているのでしょう

そしてこのシーンの後にハモンドは自分の意志でパークの全システムを停止させます、それにより物語が収束していく流れへとつながっていくのです

クライマックスで事件が解決した後の場面、ハモンドは島からヘリで脱出する直前にもう一度ジュラシックパークを振り返ります、このシーンは何度見ても切ないです

なぜなら彼がかけがえのないものを捨てて家族を選んだから、本当は手放したくないけど夢を手放さなければいけない、その最後の葛藤を描いているからこそあのシーンは切ないんです

演出

次に『ジュラシックパーク』の演出について解説していきたいと思います、本作では演出が良いシーンがたくさんありますが、全部は紹介できないのでので今回は服装の色分けローアングルの演出二つに絞って解説します

この映画ではヘリコプターで島へ向かうシーンでメインキャラクター達が初めて揃うのですが、この時のメンバーの服装をよく見ると面白い事が分かります

まずはハモンドとマルコム博士についてです、ハモンドは全身真っ白の服装で髪まで白いです反対にマルコムは全身黒色で統一されて髪も黒

この二人の服装が対照的なのは彼らが対立関係になっているからです、彼らが初対面のヘリの中でお互い正面を向き合っているのもそのためでしょう、二人の価値観は真逆でありその事が原因で彼らはずっと喧嘩しています

全てを管理できると思っているハモンドに対して、カオス理論に基づきなんにでも必ず予測不可能な事態が起こると主張するマルコム、さらにハモンドが行っている遺伝子操作に関しても自然界への冒涜だと非難しています

また彼らの丁度中間の立場にいるジェナーロ弁護士は全身灰色の格好をしています

次にグラント博士とサトラ博士の服の色ですが、グラント博士は水色、サトラ博士はピンクのそれぞれのジェンダーを表した色の上着を着ています、しかし彼らは作中でジェンダーの枠を超えた活躍をしていきます

それは物語の後半の二人を見ると分かります、グラント博士は男性ですがずっと子供の面倒を見ています、またサトラ博士は女性ですがアクションシーンでの活躍が増えていきます

さらにサトラ博士はピンチを乗り越えていく中でいつの間にかピンクの上着を脱いで水色の服になっています、これは女性も男性とに対等に活躍できるというメッセージが込められているのでしょう

スピルバーグはローアングルのカットを頻繁に使う監督です、映画においてローアングルを使う理由はいろいろありますが、『ジュラシックパーク』では特に恐竜の巨大さを見せるためと観客に子供の目線になってもらうために使われている場面が多いです

中でも印象的なシーンを二つ紹介したいと思います

一つ目は序盤のグラント博士が子供を脅かすシーンです、この場面ではなぜかカメラは話している博士ではなく少年の方ばかりをを映しており、博士は見切れてしまっています

おそらくこれは少年と同じ目線にする事で、子供相手にむきになっている博士の大人げなさを強調する狙いがあると思われます

また少年と博士を同じ画角に入れない事で博士の子供嫌いも表現しているのでしょう、その証拠に子供嫌いを克服した博士はラストシーンで子供を抱き寄せているのですが、ここでは皆同じ画角に映っています

二つ目はトリケラトプスが登場するシーンです、この場面では男の子のティムが草むらをかき分けると動けなくなった病気のトリケラトプスが現れるのですが、子供目線にすることで恐竜の大きさをより強調しています

またこの場面は初めて大型のアニマトロニクスが登場するシーンでもあり、実際に恐竜に触れ合う事で生命や自然の素晴らしさを表現していると思われます

これだけでも十分素晴らしい演出なのですが、そこはスピルバーグ、それだけでは終わりません

実は先ほどと真逆のシーンが後半で登場します、そのシーンとはネドリーがディロフォサウルスに襲われるシーンです

この場面は先ほどとは違い恐竜側の目線になっており、草むらをかき分けると今度は動けなくなった人間がいます、またさっきは昼間のシーンでしたがこちらは夜のシーンとなっています

この場面をあえて同じような構図にしたのは恐怖感を高めるためだと思われます

また先ほどのシーンは生命の素晴らしさを表していましたが、こちらでは恐竜の恐ろしさを表現しており、対比表現を効果的に使っています

スピルバーグの成長物語

実は『ジュラシックパーク』はスピルバーグ自身の成長物語でもあります

彼は91年には『フック』と『ジュラシックパーク』を、93年には『シンドラーのリスト』を公開しているのですが、この時期の彼の作品には共通点があり、そこから彼の心情の変化を読み解く事が出来ます

先ほどの三つの作品の共通点ですが、ジュラシックパークから脱出するハモンド、ネバーランドを去るピーター・パン、クラクフを追われるユダヤ人達など、全て失楽園の物語を描いています

失楽園は旧約聖書にある罪を犯した人間が楽園を追放される物語です、スピルバーグが自身の作品で楽園喪失を描いているのは彼の私生活に理由があると思われます

スピルバーグは子供がいたにもかかわらず妻のエイミー・アーヴィングと89年に離婚してしまいます、つまりスピルバーグも自分と同じ様に、子供に両親の離婚を経験させてしまったのです

おそらく彼はこの出来事で自身の幼さや父親としての自覚のなさに問題があると考えたのでしょうそしてそれを罪と感じたのではないでしょうか

スピルバーグは『フック』と『ジュラシックパーク』で家族を大事にしなかったという罪を犯したことで楽園を追われ、それによって大人になった男の物語を描いています、この2作品で彼は父親としての成長と少年時代との決別を果たそうとしたと思われます

そしてその後の『シンドラーのリスト』で彼は楽園を追われた者の救いを描いています、このように彼が救済の物語を描くことができたのは彼自身が精神的に大人に成長する事が出来、再び父親となる覚悟ができたからでしょう

実際、スピルバーグは91年にケイト・キャプショーと結婚し、今では7人の子供達の良き父親となっています

おわりに

今回は『ジュラシックパーク』について解説しました

この記事でスピルバーグ作品における『ジュラシックパーク』の立ち位置が分かって頂けたかと思います

それまでのスピルバーグは娯楽映画は作れても、シリアスな題材をテーマにした大人向けの作品は作れない映画監督、というレッテルを貼られていました

しかし『ジュラシックパーク』以降の彼は、『シンドラーのリスト』ではアカデミー監督賞と作品賞、『プライベートライアン』では監督賞を受賞しその評価を覆します

このように『ジュラシックパーク』はスピルバーグの作家としての方向性を左右したという意味でも重要な作品だと言えるでしょう

最後まで記事を読んでいただいてありがとうございます

よければ別の記事も読んで頂けると嬉しいです

それではまた

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