初めまして
今回は『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム』についてネタバレありで解説していきたいと思います、この記事を読めばぼくらのウォーゲームの元ネタやこの作品が実は主人公の八神太一の成長をメインに描いている事などが分かるようになっています
また本作で登場する敵デジモンは(クラモン→ツメモン→ケラモン→インフェルモン→ディアボロモン)と進化のたびに名前が変わりますが今回はディアボロモン呼びで統一します
ぼくらのウォーゲームのオマージュ元

この作品には元ネタと思われる作品が2つあります、一つはジョン・バダム監督の『ウォー・ゲーム』(1983)、もう一つはスタンリー・キューブリック監督の『博士の異常な愛情』(1964)です
どちらとも核ミサイルを止める話なのが本作との共通点となっています、さらにそれ以外にもそれぞれからオマージュしたと思われる要素がいくつかあります
『ウォー・ゲーム』との共通点
『ウォー・ゲーム』でいえばまずタイトルを明らかに意識しています、その上コンピュータ内での事件が現実の核兵器の脅威に繋がっていく展開も一緒です
さらにディアボロモンのモデルはおそらくこの映画の人工知能ジョシュアでしょう、どちらも精神年齢が幼くゲーム感覚で核ミサイルを発射しようとします
また光子郎のロスのメール仲間は主人公デイビッドがモデルと思われます、光子郎のメール仲間がデジモンの存在をいろんな機関に知らせても相手にされない展開はデイビッドがジョシュアの事を米軍関係者に伝えても信じてもらえない場面と似ています
それからクライマックスで核ミサイルの爆発を防ぐためにディアボロモンとのゲームに挑む流れは『ウォー・ゲーム』のラストでジョシュアとゲーム対決する展開に似ています
『博士の異常な愛情』との共通点
『ウォー・ゲーム』ほどではないですが『博士の異常な愛情』にもオマージュ元になったと思われるシーンがあります
例えば分裂して1万6000体まで増えたディアボロモンの中から時計を持っている一体を探すシーンは、『博士の異常な愛情』の核兵器を積んだ爆撃機に撤退命令を出そうとする場面で、暗号無線装置の1万7000通りある暗号から正解を特定しようとする展開をオマージュしていると思われます
またディアボロモンとの戦いに向かう途中などで流れる曲「出撃」は『博士の異常な愛情』で流れる軍歌「ジョニーが凱旋するとき」を明らかに意識しています
作中で使われている音楽
オマージュではありませんがついでに作中で使われている曲についても解説したいと思います
まずは冒頭で流れる「ボレロ」について、この曲はフランスの作曲家モーリス・ラヴェルがバレエ用に作った曲です
あらすじは、酒場で一人の踊り子が足慣らしをしている場面から始まり最初はお客に見向きもされなかったが踊りが盛り上がってくると客達もつられていき最後にはみんなで踊るという内容です
冒頭で「ボレロ」が流れる理由は二つあります、一つはこの作品が映画版第一作目である『劇場版 デジモンアドベンチャー』の続きであるからです
『劇場版 デジモンアドベンチャー』で唯一流れる音楽が「ボレロ」でありその曲が最初に少しだけ流れるのは前作との繋がりを強調するためです、曲とともに前作の場面が少しだけ出てくるのもそのためでしょう
もう一つの理由は「ボレロ」のあらすじが本作のストーリーを暗示しているからです
作中でのディアボロモンのいたずらに対して最初は気にも留めていなかった人々がだんだん無視できないほどの大変な事態になってくるという展開は「ボレロ」のあらすじとそっくりです
次にクライマックスで太一たちが画面を飛び越えて瀕死のウォーグレイモンに寄り添うシーンで流れる曲についてです、ここで流れているのはモーツアルトの「レクイエム」の[入祭唱]の部分です
この曲の歌詞には日本語にすると「主よ、我が祈りを聞き容れ給え」と訳せる部分があります、これは太一たちのデジモンのそばにいさせて欲しいという祈りが届き奇跡が起きたという事を表しているのでしょう
八神太一の成長物語

次は『ぼくらのウォーゲーム』のプロットについて解説します
この作品は簡単にいうと人を思いやれない八神太一が人に寄り添えるようになるまでの成長物語です
人に寄り添えない八神太一
主人公の八神太一は物語の序盤では周りの人の気持ちを全く考える事が出来ていません、冒頭からいきなり太一は空と喧嘩中です、後に分かるのですが喧嘩になったのは太一の空に対する気遣いなさが原因でした
またみんなに一緒に戦ってくれるよう電話して回る場面でも一方的に要求する上に断られたり電話に出てくれないとイライラしだし挙句の果てには関係ないお母さんに悪態をついたりと自分勝手で幼い言動が目立ちます
後半に入っても太一の周りの事を考えない言動が続きます、例えば自分がミスした場面で謝るどころか仲間の光子郎に文句を言うシーンなどがそうです、さらに作中太一たちの活躍を見ている人々からずっとメールが届き続けますが彼が抱く感情は応援してくれる人への感謝ではなく批判してくる人に対する怒りだけです
八神太一の心の変化
そんな太一にも成長の時が訪れます、それは物語の終盤、ディアボロモンとの戦いで瀕死になったウォーグレイモンを目の当たりにした時です
この時彼は初めて相手の事を思いそばにいたいと願います、そしてその思いが奇跡を起こし画面を飛び越えて太一たちはネットの中のデジモンのもとに向かいそばに寄り添います
クライマックスでは世界中の人々からのメールが力となりウォーグレイモンがメタルガルルモンと合体しオメガモンとなる事でディアボロモンを打ち倒します
このシーンで人々からのメッセージを力に出来たのは太一が成長し人の気持ちに寄り添い受け止める事が出来るようになったからです
ラストシーンの意味
ラストシーンでは太一からのメールが空に届く場面が描かれます、このメールは冒頭で送信したもののディアボロモンのせいで届かなかったものでディアボロモンが倒されたことで改めて空のもとへ届けられています、そしてメールを受け取った彼女は彼を許します
この場面では太一の変化により今度は周りがどう変わったかが描いています、つまり彼が人に寄り添えるようになった事で空にも反省している気持ちが届きその結果許してもらえたという訳です
ディアボロモンと八神太一

最後にディアボロモンについて解説します、まずはディアボロモンとオメガモンの関係についてです
この2体は明らかに対比の関係にあると思われます、分かりやすいところでいえばディアボロモンは黒くオメガモンは白い事、また両者のシルエットも似ています
さらにたくさんのバグが寄り集まって生まれたのがディアボロモンであり、人々の思いが集まって生まれたのがオメガモンであるという誕生の理由も対照的です
このようにこの2体は重要な関係であるのは間違いないですがディアボロモンにはさらに密接な関係のキャラクターがいます、それが八神太一です
この両者は非常によく似ています、どちらとも精神年齢が幼くまた他人の迷惑をあまり考えず自己中心的です
しかし両者がたどった結末は大きく異なります、成長する事が出来た太一は人々からのメッセージを力にする事が出来その結果オメガモンが誕生します、対してディアボロモンの内面は成長せずずっと幼いままなので人々からのメッセージを受け入れる事が出来ずその結果負けてしまったのではないでしょうか
おわりに
今回は『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム』について解説していきました
後に製作される細田守監督の『サマーウォーズ』はこの作品のセルフリメイクと言われています、しかし『サマーウォーズ』は『ぼくらのウォーゲーム』を越えたのかについては疑問が残ります
確かに映像は格段に良くなっていますし印象的なカットも多くなっています、しかしその反面『ぼくらのウォーゲーム』にあった物語の力強さは失われたように感じます
そしてそれはその後の細田作品にも言えると思います
2025年11月に細田守監督最新作『果てしなきスカーレット』の公開が決定しましたが細田監督は再び以前ような力強い物語を描けるのか見守っていきたいと思います
最後まで記事を読んでいただいてありがとうございます
よければ別の記事も読んで頂けると嬉しいです
それではまた
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