初めまして
今回は映画「ジュラシックパーク3」についてネタバレありで解説していきたいと思います、この記事を読めばこの作品のどこが良く出来ているか、あるいは良くないかが分かるようになっています、またタイトルにもある通りなぜ最後にビリーが生きていたのかの理由をメタ的な視点で考察していきたいと思います
この記事ではまず本作の良い点から解説しその後悪い点について説明していきます、なぜならこの順番で読み解いていくことでビリーが生きていた理由が見えやすいからです
またこの記事はあらすじや制作秘話などを紹介するものではありませんのでご注意ください
それでは早速解説を始めたいと思います、以下ネタバレありです
この作品の良い点
まずはこの作品の良い点として演出が非常に上手いところがあります、特に注目すべき場面を三つ挙げて解説していきたいと思います
講演会で集まった人々は観客のメタファー

最初に紹介するのは映画の序盤のグラント博士の講演会のシーンです、この講演はラプトルに関する新しい発見があったので研究資金の援助を求めて開いたものです、しかし集まった人たちは博士の研究には興味がなく彼のジュラシックパークでの体験を聞きたいだけでした、途中で帰る人々がいるのもそのためです
この講演会に集まった人々は映画を見に来た観客達のメタファーだと思われます、つまり彼らはこのような続編が出るたびに新しい物語よりも前と同じものが見たいと思っている観客達を表しているのです
そしてグラント博士は講演に集まった人々の要求に何一つ答えません、これは監督の決意表明だと思います、実際この作品はそれまでのシリーズから変更した部分がたくさんあります(ただ、それらについては賛否両論ありますが)
いずれにしても観客のメタファーを入れてくる演出は面白いかと思います
飛行機で見る悪夢の意味

次に紹介するのは飛行機で見る悪夢についてです、飛行機で寝ていたグラント博士にラプトルが話しかける夢ですね
この場面には二つ意味が設けられているかと思われます、一つはこの後恐ろしい展開が待ち受けている事、もう一つの意味が博士がラプトルと会話する伏線です
一つ目の意味については皆さん分かると思うのでもう一つについて解説します、この作品では序盤でラプトルの共鳴腔のレプリカが登場します、そして物語の終盤でラプトルに襲われそうになったグラント博士はこの共鳴腔のレプリカで彼らが助けを呼ぶ声を真似して危機を逃れます、つまりこの夢はラストシーンの伏線になっているのです
このようにラストの伏線を序盤で張っているのは良く出来ていると思います
ランプの灯りで表す家族の温もり

最後に紹介するのはランプの灯りを使った演出です、それはグラント博士がエリックに助けられた直後に出てきます
この場面で両親が自分を助けに来たことを知ったエリックは「まずいよ、すぐ喧嘩するから」といいますがそれに対して博士は「ところが人間変わるんだよ、いざとなると」と答えます、このセリフの直後ランプが消えかかっている事に気づいたエリックがランプを取り換えます
このシーンは冷え切った夫婦仲が今回の事件をきっかけに再び温かみを取り戻しつつあることを表していると思われます、その証拠がこのシーンの後カービー夫妻が語り合う場面に映ります、ここではそれまで喧嘩ばかりだった二人が仲直りしている様子が描かれます、そしてこの二人の上にもランプが輝いているのです
このようにランプの灯りで家族の温もりを表している良く出来た演出だと思います
以上がこの作品の良い点についての解説でした
この作品の悪い点
次に悪い点を解説していきたいと思います、この映画は構成が悪かったり説明不足のシーンが多かったり魅力的なキャラクターが少ないなど良くない点はいくつかあります、しかし今回は特に悪い点と感じた脚本部分に絞って解説していきます
脚本が良くない理由としてこの映画はメインとなるストーリーが二つも存在している事が挙げられます、一つはポールのもう一つはビリーのストーリーです、またポールのストーリーの出来が悪い事も良くないです、どういう事なのか詳しく説明していきます
ポール・カービーのプロット

まずはポール・カービーのプロットを見ていきたいと思います、ポールのストーリーを簡単にまとめるとダメな父親が成長してもう一度家族を取り戻すという物語です
実はこの父親の成長物語はこれまでのシリーズでも描かれてきたテーマでもあります、つまり今回もシリーズの伝統に従って父親の成長を描いているわけですがこのポールのプロットの出来があまり良くないのです
これまでのシリーズでは主人公には良い父親になれない原因となる欠点がありがそれらを克服して成長していく過程が描かれていました、しかしポールの欠点はそれが良い父親になれない理由とはなっていません
まず彼の欠点とは頼りない事だと思われます、その根拠としてストーリーの中盤で自販機を見つけた時ビリーはガラスを蹴り破って中身を手に入れますがポールはガラスを割れないという場面があります、このような場面などでポールは弱く頼りない事が何度か強調されています、その彼が最後に命がけでおとりになりスピノサウルスから家族を守ります
このように一見するとポールの物語は頼りなかった父親が成長して勇気ある行動を見せるという良いストーリーのようにも見えます、しかしよくよく考えてみると彼が頼りない事と良い家庭を築けていない事は直接的には関係ありません
本来ならば彼が頼りなかった事が原因で家庭に亀裂が走るようなエピソードが必要なのですがそれがないためにポールの成長が伝わりずらい脚本になってしまっているのです
というわけでポールのプロットが良くない事がこの作品の悪い点として挙げられます、それでは次にもう一つのビリーのプロットの解説をして、さらに映画全体の脚本について説明していきたいと思います
ビリー・ブレナンのプロット

ではここからはビリーのプロットを見ていきたいと思います、先ほどのポールのプロットと違いこのビリーのプロットは良く出来ているですがその理由は大きく二つあると思われます、一つはビリーが監督が感情移入しやすいキャラクターである事、もう一つが葛藤と成長が描かれている事です、それぞれ解説していきます
まず一つ目の理由について説明しましょう、グラント博士とビリーは師弟のような関係として描かれていますがこの二人はある人物たちの関係性と似ています、その人物たちとはスピルバーグとジョー・ジョンストンです
ジョー・ジョンストンはスピルバーグからバトンを受け継ぐ形でこの「ジュラシックパークシリーズ」を監督をすることになった人物です、またスピルバーグ自身もこの作品で製作総指揮を務めておりこの二人はまさに師弟のような関係といえます、つまりジョー・ジョンストンは自分が感情移入できるキャラクターとしてビリーを登場させているのです
次にビリーの成長と葛藤について解説します、まずはビリーのプロットの大まかな構成を見ていきます
本作でビリーは研究資金が足りなくて困っていたグラント博士のためにラプトルの卵を盗んでくるのですがそれが原因で仲間を危険にさらし博士からも失望されてしまいます、その後彼は危険を冒して仲間を助けその結果周りから許されるという構成になっています、
つまりビリーのプロットは仲間を危険にさらした主人公が今度は命がけで仲間を救うという明確な成長物語が描かれていてその点が良く出来ていると思います、また卵を盗んだことにより追ってくるラプトルから逃げる状況を作りお話に推進力を持たせている所も上手だと思います
ここまでの解説でビリーのプロットが良く出来ている事が分かって頂けたかと思います
メインプロットが二つあることの弊害

というわけでビリーのプロットの出来は良いのですが残念ながら映画全体の脚本はあまり良くありません、理由は二つあります、一つは先ほど説明したようにポールのプロットが良くないことです、もう一つが構成が非常に悪い事です
どういう事かというとこの映画はメインストーリーが二つあるせいでビリーのストーリーが本格的に始まるのが後半以降になってしまっています、またクライマックスが二つもあるというおかしな構成にもなっています、船でスピノサウルスに襲われるシーンとラプトルに卵を返すシーンですね、つまりこの作品は無理やり二つの物語を同時に進めていることによって脚本全体が悪くなっているのです
以上がこの作品の悪い点についてでした
なぜビリーが生きていたのか
では最後に本題のなぜビリーが生きていたのかについて解説していきたいと思います、繰り返しになりますが作中で何があったかではなくあくまでメタ的な考察になります、では結論を先に述べるとそれはこの作品で監督が自身の一貫したテーマを描いているからです、これだけでは分からないと思うので詳しく解説します
キャプテンアメリカも死んで甦る

まずはジョー・ジョンストンの一貫したテーマとは具体的にどんなものかについて説明します、彼のテーマは「罪を犯した主人公が自己犠牲により一度死んで甦る」です、なぜこれがテーマと分かるのかというと彼は他の作品でも同じ話を描いているからです
例えば「ジュマンジ」では主人公アランがボードゲームのジュマンジを始めたせいで両親は破産しその後亡くなってしまいます、アランはジュマンジを終わらせるため命の危険を顧みずゲームを再開させ最終的にハンターのヴァン・ペルトに撃たれる直前に見事クリアします、その後ゲームを始めた子供の頃に帰ることができるというストーリーになっています
また「キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー」では戦いの中親友のバッキーを救えなかった主人公スティーブ・ロジャースがラストで爆弾を積んだまま制御不能となった飛行機を大勢の人々を救うために北極に沈めます、それから70年後彼は氷漬けの状態で発見され現代に甦ります
これらのストーリーから本質部分だけを抜き出すと先ほどの彼の一貫したテーマが見えてくるわけです
そしてビリーの物語でもそのテーマが描かれています、彼の罪とは卵を盗んで皆を危険にさらしたことであり自己犠牲とは危険を冒してエリックを救ったことです、そしてラストの実は生きていた事が判明するシーンで彼は死から甦り真の英雄になったのです、なのでビリーが生きていた理由は彼のストーリーそのものが監督の一貫したテーマだからとなるのです
以上がなぜビリーが生きていたかのメタ的な考察でした
ブラキオサウルスが出てくる理由

最後にビリーの罪が許された場面について解説したいと思います、その場面とはグラント博士がボートの上でエリックと話すシーンです
ここではグラント博士がビリーに「お前はここを造った連中と変わらない」と言ってしまった事を反省しているという発言をします、そしてこの後ブラキオサウルスの群れが登場します、このシーンの意味について解説します
先ほど説明したようにグラント博士とビリーはスピルバーグとジョー・ジョンストンの関係性を表しています、ですのでこれはジョー・ジョンストンがスピルバーグに認められた場面ととらえることもできます
またスピルバーグがジュラシックパークで初めて登場させた恐竜もブラキオサウルスです、さらにこの場面ではジュラシックパークのテーマ曲も流れます、これはつまりこの作品が正式にジュラシックパークシリーズに迎えられたことを表していると思われます
要するにここはビリーが許された事とジョー・ジョンストンが認められた事がかかっているシーンとなっているのです、なのでこのシーンは感動的に見えるのです
まとめ
今回は「ジュラシックパーク3」の解説をさせていただきました
なぜビリーが生きていたのかのメタ的な理由が分かって頂けたかと思います
最後まで記事を読んでいただいてありがとうございます
よければ別の記事も読んで頂けると嬉しいです
それではまた!
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