今回は映画『ジュラシック・ワールド/炎の王国』について解説していきたいと思います。この記事ではこの映画がなぜゴシックホラーであるのかについてや、実は『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』を批判している事などについて解説していきたいと思います。
以下ネタバレありです。
ゴシックホラーの恐竜映画

この映画は前半は典型的な恐竜映画ですが後半はゴシックホラーになるという、途中で作品のジャンルが変わる変則的な構成になっています。
なぜ途中からゴシックホラーになるのか、これには理由があります。『ジュラシックパーク』(1993)では当時の最先端科学である遺伝子工学の危険性を描いていました。そしてかつて電気が普及し始めた時代にはその危険性を描いたゴシックホラーである『フランケンシュタイン』(1931)が作られています。
なのでこの映画は『フランケンシュタイン』の様な科学の危険性を描いてきた作品たちの伝統を受け継いでいる事を強調するためにゴシックホラーというジャンルにしているのです。
ちなみに『ジュラシック・ワールド/炎の王国』に登場する人造恐竜インドラプトルの全身が初めて登場シーンで電撃の光によって影が壁に映る演出がありますが、これはおそらくフランケンシュタインの怪物が雷によって誕生する場面をオマージュしています。
さらに前半部分の恐竜達が火山の噴火でピンチに陥る展開は、おそらく1925年公開の『ロストワールド』をオマージュしたものでしょう、ですので『ジュラシック・ワールド/炎の王国』は娯楽映画の古典をとても意識している作品と言えます。
『ロストワールド』への批判

『ジュラシック・ワールド/炎の王国』は『ジュラシック・ワールド』シリーズ2作目という事もあり『ジュラシック・パーク』3部作の2作目『ロストワールド/ジュラシック・パーク』のオマージュが多い作品となっています。
しかし、この作品はオマージュシーンこそ多いものの、『ロストワールド/ジュラシック・パーク』へのリスペクトにあふれているというより、むしろ批判しているように見えるシーンが多く感じます。特にそれが顕著なのはロックウッド財団の関係者の描き方です。
ロックウッド財団の関係者には特に重要な人物が3人います。その3人とは取締役のベンジャミン・ロックウッド、実質的な運営者のイラーイ・ミルズ、傭兵のケン・ウィートリーです。
この3人は『ロストワールド/ジュラシック・パーク』でいうジョン・ハモンド、ピーター・ルドロー、ローランド・テンボにあたるキャラクターですが、彼らの描かれ方には大きな違いがあります。
『ロストワールド/ジュラシック・パーク』でははっきり悪役として描いているのはルドローだけであり、自身が行った事の報いを受けるのも彼だけです。
しかし倫理的に問題ある遺伝子操作を行ったハモンドも、恐竜を乱獲しまくったローランドも本来悪役として描いてもいいはずのキャラクターです。にもかかわらず作中ではその事については特に報いも受けず、それどころかむしろ良い人に見える感じに描いているように見えます。
だから『ジュラシック・ワールド/炎の王国』ではその事について批判をしていると思われます。その証拠に旧作でルドローにあたるミルズだけでなくロックウッドやウィートリーも作中で死亡しています。それも3人とも自分たちが犯した過ちが巡り巡って自分に罰として返って来ています。
このような理由でこの作品は『ロストワールド/ジュラシック・パーク』を批判しているといえると思います。
しかし個人的にこの批判は必ずしも的を得ているとは言えないのではないかと考えています。なぜならローランドはともかくハモンドは前作の『ジュラシック・パーク』で実は罰を受けているからです。これについては別の記事で解説しているのでそちらをご覧ください。
>>映画『ジュラシック・パーク』ネタバレ解説 この映画でスピルバーグはどう成長したのか
演出
次に本作の演出について解説していきたいと思います。この映画において特に演出的な見どころを感じる部分は2つあります。一つはテーマ曲の使い方、もう一つは一日の出来事に見える様にしている構成です。
音楽の使い方

一つ目の音楽の使い方についてですが、特に旧シリーズのテーマ曲の使い方が上手です。作中でテーマ曲が流れるシーンは主に四ヶ所あります。その四つのシーンを簡単にまとめてみました。
- クレアが初めてロックウッド邸を訪れた時にに壁にかかっているジョン・ハモンドの肖像画を見つけたシーン
- ヌブラル島でブラキオサウルスが初めて登場するシーン
- ブラキオサウルスが噴火から逃げられず炎の中に消えていくシーン
- ロックウッド邸の地下で毒ガスが漏れて死にかけている恐竜を逃がすべきかどうかクレアが迷うシーン
以上の四か所ですが、この1~3番目のシーンまでと4番目のシーンではテーマ曲が流れる理由が異なります。実は1~3番目までのシーンは4番目のクレアが恐竜たちを逃がすべきか悩んでいるシーンにおいてそれまでの3つのシーンを想起させるために曲が流れています。
つまりクレアは恐竜たちを逃がすべきか迷っている最中に彼女の脳内では救えなかった恐竜の事とハモンドが恐竜を作ったことで起きてしまった悲劇の両方を思い出しており、その二つを天秤にかけている事を表現するために旧シリーズのテーマ曲を流しています。
このようにただ単に旧シリーズのファンを喜ばせるためだけでなくきちんと演出的な意味のある音楽の使い方をしている事が素晴らしいと感じました。
一日の出来事に見える演出

次はもう一つの演出的見所である一日の出来事に見える様にしている構成について解説していきます。
この映画は数日間の出来事を描いていますが、まるでほぼ一日の出来事に見えるような構成にしています。なぜこのような構成にしているのかですが考えられる理由は二つあります。一つは物語の進捗状況を分かりやすくするため、そして二つ目は人間の時代から恐竜の時代が来た事を表すためです。
一つ目の理由に関してはそこまで難しくないと思います。この映画は冒頭こそ夜のシーンから始まりますが、本筋の物語は朝から始まりほとんどのシーンはストーリーが進むにしたがって時間帯がだんだん夜になっていっており、ラストは再び朝になって終わります。このようにほぼ一日の出来事の様に描くことで物語の進捗状況が分かりやすくなっています。
しかし二つ目の理由に関しては説明が必要かと思います。まずこの映画はラストで恐竜が世界中に解き放たれ地球全体がジュラシックワールドになってしまったところで物語が終わります。つまり人間の時代から恐竜の時代に変わっていく話なのですが、この新しい時代が来た事を表すためにラストが夜明けのシーンで終わっているのです。
これらの理由でこの映画は一日の出来事の様に見える構成にしていると思われます。このように本作は一つの構成に複数の意味を持たせる演出が多く、非常に細かいところまで考え抜かれた作品になっていると思います。
プロット
最後にこの映画のプロットについて解説したいと思います。この映画では特にクレアとメイジーに焦点を当てて物語を展開しています。ですのでこの二人のプロットがどのような構成になっているかを説明したいと思います。
クレアのプロット

クレアの物語を簡単にまとめると彼女がオーウェンとよりを戻し本当の母親になるまでの物語です。
前作ではクレアが母親候補に成長するまでを描いていて今作でもそれは受け継がれています。その証拠に今作は前作と同じく彼女はエレベーターで初登場しますが前とは全然印象が違います。また前作では一人で飲んでいたコーヒーをみんなに配っていたり、利益よりも恐竜の命を優先しているところも彼女が成長したことを強調する演出となっています。
ちなみにクレアが前作『ジュラシック・ワールド』でどのように成長したのかは別の記事で解説していますので気になる方はこちらをご覧ください
>>映画『ジュラシック・ワールド』 ネタバレ解説 オマージュを物語にどう落とし込んでいるか
そして今作では彼女が本当の母親になるまでの物語となっているのです。映画の序盤ではクレアは再びオーウェンと不仲になっている様子が描かれます。しかしオーウェンと共にいくつもの危機を乗り越えていく中でもう一度彼との絆が芽生えていきます。そして最後にオーウェンと共にメイジーを養子として育てていく事を決めた事で彼女は本当の母親となり物語は終わりを迎えます。
以上がクレアのプロットになります。しかしながらこのクレアとオーウェンの絆が深まっていく件は前作でも描いているため若干の二番煎じ感もある上、作品全体の中でもそこまで重要なストーリーという訳でもないので、どちらかというとクレアの物語はサブプロットであると思われます。
ではメインプロットは誰の物語なのかというとおそらくメイジーの物語であると思われます。
メイジーのププロット

メイジーの物語を簡単にまとめると自分の正体を知りその上でそれを肯定する物語です。メイジーのプロットは特徴的で前半はミステリーで後半はメイジーの成長物語という構成になっています。
前半のミステリー部分はロックウッドが本に隠している秘密を探る事です。メイジーはロックウッドがいつも大事そうに持っている本を何故か見せようとしない事を不審がり本の中身を知ろうとします。この謎で物語を引っ張ていき最後にロックウッドが亡くなった事でメイジーが本を手にし実は自分がクローンだった事が分かった事で物語は後半部分へと移行します。
後半では自分がクローンである事を知ったメイジーがその事実とどう向き合うのかについてのストーリーとなっています。最終的にメイジーは自分と同じようにクローンである恐竜たちを人間の世界に開放する事を選び、それによって自分がクローンである事も肯定し物語は結末へ向かいます。
また本作に登場するハイブリット恐竜であるインドラプトルはメイジーと同様、母親の愛を知らずに育っていますが、メイジーが最終的にクレアと親子の様な絆を結ぶ事が出来たのに対し、インドラプトルは本来、母親的立ち位置になるはずだったブルーと敵対してしまい最終的にはブルーに殺されてしまうので、両者が対比の関係になっている事も特徴的だと思いました。
ちなみにメイジーのプロットに見られる子供が自分の負の側面と向き合い受け入れる話や母親がいない子供の話などは監督のJ・A・バヨナが過去作でも描いてきたテーマであり、彼は自分の作家性をこのようなシリーズものの大作映画に落とし込むのが非常に上手だと感じました。
終わりに
今回は『ジュラシック・ワールド/炎の王国』について解説しました。
今作のプロットでは母親の物語を中心に描いていますが、実は『ジュラシック・ワールド』3部作はシリーズ通してずっと母親の成長をテーマにしています。
なぜここまで母親にフォーカスしているのかというと実は旧『ジュラシック・パーク』3部作でシリーズ通して父親の物語を描いていたからです。つまり旧シリーズは父親についての物語だったから今度は母親の物語をテーマにしているのです。
最後まで読んでくださってありがとうございます。他の記事も読んで頂けるとありがたいです。
それではまた。
コメント