初めまして
今回は映画『ロストワールド/ジュラシックパーク』について解説していきたいと思います、この記事を読むことでこの映画のリメイク元となった作品についてやどのような演出が使われているのかなどについて分かるようになっています
また本作はあまり評価が良くないですが、なぜ失敗作となってしまったのかについての解説もしていきたいと思います
以下ネタバレありです
リメイク作品としてのロストワールド
実は『ロストワールド/ジュラシックパーク』はある映画のリメイクともとれる作品です、そのオリジナル版とは1925年公開のタイトルもそのまま同じ『ロストワールド』、その根拠として共通点が多いことが挙げられます
ロストワールドとの共通点

ロストワールド(25年)との明確な共通点は
- 恐竜が実在する事を公言する教授が皆から嘘つき呼ばわりされている
- 恐竜の調査と身内の救出のために恐竜がいる土地に向かう
- 恐竜を生きたまま都市に持ち帰るが脱走して暴れる
などがあります
それ以外にも『ロストワールド/ジュラシックパーク』(97年)ではティラノサウルスがトレーラーを崖から落とした事で船と連絡できなくなり帰れなくなりますが、これは『ロストワールド』(25年)のブロントサウルスが丸太の橋を落とした事で恐竜達が住む台地から帰れなくなるシーンがオマージュ元だと思われます
また『ロストワールド』(25年)と同じ座組で製作された『キングコング』(33年)も共通点が多く
- 船で恐竜の住む島に向かう
- 最初に出会う恐竜がステゴサウルス
- 島で巨大生物を捕まえて持ち帰るがやはり脱走して町で暴れる
などがオマージュしている部分として挙げられます
これらの理由から『ロストワールド/ジュラシックパーク』は『ロストワールド』(25年)のリメイクと言えると思います
その他のオマージュ元

本作には他にもオマージュしていると思われる映画がいくつかあります
例えばティラノサウルスがサンディエゴで暴れるシーンは明らかに『ゴジラ』(54年)をオマージュしていましたし、恐竜をハンティングする場面は『ハタリ!』(62年)の猛獣を生け捕りにするシーンを元にしてると思われます
このように『ロストワールド/ジュラシックパーク』はスピルバーグが好きな往年の怪獣映画などの詰め合わせの様な作品だと言えるでしょう
プロット
次にプロットの解説をしていきたいと思います、先に結論をいえばこの映画の脚本はそれほど良くありません、理由はテーマが前作からほとんど変わっていない事とカタルシスが弱い事が原因です
前作と同じテーマ

本作のストーリーは簡単にいえばマルコム博士が父親として成長するまでの物語です、より具体的に言えば娘や恋人を叱ったり否定してばかりいた男が、彼女たちの考えを尊重し口出しせずに見守れるようになるまでの成長を描いています
この家族に干渉しすぎな主人公が家族と適切な距離を置けるようになる流れは、そのまま恐竜達に干渉しすぎだった人間側が最終的に彼らに関わらずそっと見守る選択を選ぶ展開にかかっており、コンセプトとしてはそれほど悪くないように見えます
しかし大人げない父親の成長物語は前作の『ジュラシックパーク』で既に描き切っています、さらに前作はスピルバーグ自身が成長する過程で必要な作品でもありましたが、既に大人として成長して『シンドラーのリスト』まで作った彼にはなおの事、このストーリーである必要性があったのか疑問です
この辺りの詳しい説明は別の記事に書いていますので、興味のある方はこちらをご覧ください
>>映画「ジュラシックパーク」ネタバレ解説 この映画でスピルバーグはどう成長したのか
カタルシスの弱さ

さらにもう一つの欠点としてカタルシスが弱い事も挙げられます
映画の中盤にティラノサウルスによってトレーラーが崖から落とされる場面がありますが、この場面にはマルコムが具体的な成長を果たすシーンがあります、それはガラスの上に落下したサラに手を差し伸べる場面です
それまでサラの意見を否定し叱り続けていたマルコムでしたが、彼女が命の危険に晒された事で初めて優しい言葉を懸け寄り添います、その瞬間に上から電話機が落ちてきてガラスが割れるもサラは間一髪でマルコムがつかんだバッグにしがみつきギリギリ助かります
直前までサラを叱っていたマルコムでしたが、このシーン以降、彼はサラや娘のケリーを一切叱らなくなり彼女たちにほとんど干渉せず自由にやらせるようになります
こんな感じでやりたい事は何となく分かるのですが、正直このシーンにそこまでの感動はありません
『ファインディング・ニモ』のストーリーの素晴らしさ

ではどうすればよかったのか?、素人の僕がああしろ、こうしろ言っても説得力がないので全く同じテーマで脚本が良く出来てる作品を紹介したいと思います、その映画とは『ファインディング・ニモ』(03年)です
『ファインディング・ニモ』も同じく過干渉の父親が子離れするまでの物語ですが、脚本の出来には雲泥の差があります
まずニモの父親マーリンがなぜ過干渉なのかにしっかりした理由付けがあります、それは彼がニモ以外の家族を全て失ってしまったから、なので彼は再び家族を失う恐怖からニモを必要以上に守ってしまいそれによってニモを苦しめています
その後ニモが人間のダイバーに捕まった事で状況が一変、たった一人の家族を取り戻すため途中で出会ったドリーと共にニモを救いに向かいます
この道中でもマーリンがニモの救出を優先するあまり大人げない行動を繰り返しており、それが明確な彼の欠点として提示されます
様々な困難を乗り越えついにニモとの再会を果たしたマーリン、しかしその直後、漁船の網にドリーが捕まってしまいます
この時に網の中に入ってドリーを助けようとするニモを行かせるべきか迷いますが、彼は葛藤を乗り越えてニモの意見を尊重し自由にやらせます
ニモは網に捕まった他の魚たちに下に泳ぐように促した事で網からの脱出に成功し、無事に元居たサンゴ礁に帰ります
『ファインディング・ニモ』はこのように主人公が家族への干渉をやめた結果、事件が解決する物語にしたことで、カタルシスを感じることができるストーリーに仕上がっています
『ロストワールド/ジュラシックパーク』もこれと似たような構成の脚本にすれば、もっと良い物語になったかもしれません、もっとも『ファインディング・ニモ』の方が後から作られた作品なのでそもそも真似する事は不可能でしたが…
いずれにしても前作のストーリーが良かっただけに、同じ脚本家でこうなってしまったのは非常に残念です
ちなみに本作の脚本を書いたデヴィッド・コープはサンディエゴでティラノサウルスから逃げ遅れて食われる役で登場しています、何でこんなシーンを撮ったのかは謎ですが、もしかしたら脚本のあまりの酷さにムカついたスピルバーグが恐竜に食わせてやりたくなったのかもしれません
映像表現
ここまで脚本に対して散々言ってきましたが本作にも良いところはちゃんとあります、特にアカデミー賞視覚効果賞にノミネートされてるだけあって映像表現については素晴らしいです
全てを紹介できませんが、良く出来ている個所をいくつか紹介したいと思います
奥行きのある映像表現
本作の映像表現の特徴として奥行きのある画づくりが多い事が挙げられます、この映像に奥行きを持たせる理由は主に二つあって一つは恐竜の大きさを強調するため、もう一つはキャラクター同士の価値観が合わない事を表現するためです
恐竜の大きさを強調するシーン

最初にこの表現が使われているのはマルコム達がステゴサウルスに遭遇するシーンです、この場面では恐竜の手前に人間を配置する事でステゴサウルスがどれだけ大きいかが分かりやすくなっています
また恐竜狩りのシーンでも手前の追いかけるハンター達と奥の逃げていく恐竜達で同じ効果を狙っています
さらにはディーターがコンプソグナトゥスに襲われるシーンでは今度は手前に恐竜、奥に人間を配置する事で追うものと追われるものの立場が逆転したことを強調しています
スピルバーグは前半と同じ構図のシーンを後半にも登場させ前半とは違った印象を強調させる手法を前作『ジュラシックパーク』でも使っています
詳しい解説は別の記事に書いていますので、興味のある方はこちらをご覧ください
>>映画「ジュラシックパーク」ネタバレ解説 この映画でスピルバーグはどう成長したのか
価値観が合わない事の表現

もう一つのキャラクター同士の価値観が合わない事を表現しているシーンとしては冒頭のマルコムがルドローとの会話する場面が挙げられます
この場面は会話のシーンなのに手前のルドローにだけピントが合っていて奥のマルコムはぼやけています、このピントのずれで価値観の違いやお互いに相容れない関係である事などを表しています
また前半のサラとトレーラーの中で会話するシーンでもマルコムにしかピントが合っておらず、彼がサラの気持ちに寄り添えていない事を表しています
このようにスピルバーグはピントのずれで人間関係の嚙み合わなさを表現しており、さらにどちらも問題がある方に焦点を合わせる事でその人物の欠点を強調させようとしていると考えられます
ロストワールドはなぜ失敗したか

『ロストワールド/ジュラシックパーク』は興行的には一定の成功を収めましたが批評家からは酷評されてしまいました
先ほどの紹介したようにアカデミー賞視覚効果賞にノミネートはしたものの、ゴールデンラズベリー賞では「最低続編賞」「最低脚本賞」さらには「最低人命軽視と公共物破壊しまくり作品賞」というよく分からない賞にまでノミネートされる始末
ここまで評価が悪くなってしまった最も大きな理由の一つはやはりテーマに問題があったと考えられます
プロットの解説でも少し説明しましたが、この時期のスピルバーグは自分の子供っぽさを捨て大人に成長しようとしており、前作『ジュラシックパーク』は彼が子供時代に好きだった恐竜達との別れの物語でもありました
しかし続編の本作では再び恐竜のいる島に戻るストーリーを描いてしまい、その結果中途半端な作品になってしまった可能性があります
ですのでそもそもスピルバーグは『ジュラシックパーク』の続編を作らない方が良かったのかもしれませんし、もし作るにしてももっと恐竜と敵対する物語にすべきだったのかもしれません、まあそれはそれで動物愛護的に問題がある作品になったかもしれませんが…
終わりに
今回は『ロストワールド/ジュラシックパーク』について解説しました
『ロストワールド/ジュラシックパーク』の反省を踏まえてか、この作品を制作以降のスピルバーグはかつて自分が好きだった物と対立する映画を作るようになります
特に分かりやすいのは『宇宙戦争』(05年)、それまで異星人との交流を描いてきたスピルバーグが突如として宇宙人と戦う男の映画を制作します
ですので『ロストワールド/ジュラシックパーク』での失敗はもしかしたらスピルバーグのその後のキャリアにおいては重要な出来事だったのかもしれません
最後まで記事を読んでいただいてありがとうございます
よければ別の記事も読んで頂けると嬉しいです
それではまた
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