『落下の王国』は難解な描写が多く一度見ただけでは意味が分からない方も多いと思います。そこで今回はこの映画の分かりにくいシーンや演出の意味について解説していきたいです。
※この記事の内容はあくまで私個人の意見です、またネタバレありとなっていますのでご了承ください。
作品紹介
監督:ターセム・シン
脚本:ダン・ギルロイ/ニコ・ソウルタナキス/ターセム・シン
キャスト: カティンカ・アンタルー/リー・ペイス/ロビン・スミス/マーカス・ウェズリー/ジートゥー・ヴァーマ/レオ・ビル/ジュリアン・ブリーチ 他
あらすじ
時は1915年。映画の撮影中、橋から落ちて大怪我を負い、病室のベッドに横たわるスタントマンのロイは、自暴自棄になっていた。そこに現れたのは、木から落ちて腕を骨折し、入院中の5才の少女・アレクサンドリア。ロイは動けない自分に代わって、自殺するための薬を薬剤室から盗んで来させようと、思いつきの冒険物語を聞かせ始める。 それは、愛する者や誇りを失い、深い闇に落ちていた6人の勇者たちが、力を合わせて悪に立ち向かう【愛と復讐の叙事詩】―。
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アレクサンダー大王が水を捨てた本当の理由
ロイは初めアレクサンダー大王の物語をアレクサンドリアに話して聞かせます。物語の中で砂漠で迷った大王は、部下が持ってきた水を何故か捨てる場面があります。
ロイはその理由を「皆に飲ませる十分な水がないから、水を捨てる事でアレクサンダーは全員が平等だって示そうとした。」と答えます。
しかしアレクサンドリアに「そんな事しないでみんなで分けたら、ちょっとずつ飲めたのに。」と言われて何も反論できません。
そもそもロイがアレクサンドリアに物語を聞かせようと考えたのは、彼女をそそのかして薬を取って来させるためであり、善意で物語を語っているわけではありません。
そのためアレクサンダー大王の物語におかしな描写にも、彼の本心が隠されていると考えられます。
ロイの本心
アレクサンダー大王が水を捨てた本当の理由はおそらくしぬためです。なぜならこれはロイが創った物語であり、彼の望みはしぬ事だから。
しかしロイの願望が強く出すぎてしまった事で、この物語はすぐ終わってしまい目的を達成する事が出来ませんでした。
そのためロイはアレクサンドリアのために、改めて別の物語を考えなくてはいけなくなります。
何故老人は入れ歯でオレンジに噛みつくマネをするのか
この映画には入れ歯の老人のキャラクターが登場します。
彼は初登場時に、アレクサンドリアと遊んでいる最中に口の中の入れ歯を取り出して、持っていたオレンジに噛みつくような仕草を見せます。
この謎の行動の意味は何なのか?
結論から言うとこの老人は、オレンジを食べたいという思いからこの行動をしたのだと思われます。
後のシーンで老人がオレンジを食べようとする場面がありますが、彼は入れ歯なので食べたくても食べられません。
食べるという行為の意味
またこの映画において食べるという行為は搾取を表してると考えられます。
例えば霊者が地図を食べると体に地図が浮き出るという描写がありますが、これも地図の情報を奪ったと捉える事が出来ます。
さらにアレクサンドリアは老人と同じように歯が抜けており、彼らは上手く食べる事が出来ません。
彼らの様に歯がない人々は奪う事が出来ない存在、つまり搾取されるしかない弱い立場である事を表していると考えられます。
6人の勇者の正体について
ロイは再び訪れたアレクサンドリアにまた新しい物語を語って聞かせます。
この物語はまずメインキャラクターである6人の勇者の紹介から始まるのですが、この勇者たちについて解説したいと思います。
元奴隷のオッタ・ベンガ
元奴隷のオッタ・ベンガは、かつてアメリカのセントルイスで開かれた万国博覧会の人類学展で、展示品となったアフリカ人オタ・ベンガが元ネタです。また彼は1906年にもブロンクス動物園で展示されています。
見世物にされるために搾取されるオタ・ベンガと、映画で主演の代わりに危険なアクションを演じるスタントマンには通じるものがあります。
ロイがオタ・ベンガをモデルにしたキャラクターを物語で登場させているのは、彼がこの人物にシンパシーを感じているからでしょう。
このようにロイが創り出したキャラクターである勇者たちは、実は皆どこかしらロイと共通する部分を持っています。いわばロイの分身でもあるのです。
インド人
インドはかつてイギリスに植民地化された歴史があります。彼の名前が固有名詞ではなくインド人となっているのは、その事に由来しているのでしょう。
またこの人物も足を怪我していたり、妻を別の男に奪われていたりと、ロイとの共通点を持っています。
何故アレクサンドリアはオッタ・ベンガとインド人が好きなのか
それからアレクサンドリアはロイが勇者たちを紹介する場面で、オッタ・ベンガとインド人の2人にだけ「この人好き。」と言います。
アレクサンドリアがこの2人を好きな理由は、彼女の脳内でこの2人を演じている人物達が、現実世界でアフリカやインドなど外国にルーツを持つ移民やその子孫であるからでしょう。
なぜならアレクサンドリアも外国からの移民だからです。
爆弾の専門家 ルイジ
爆弾の専門家ルイジは彼の爆弾を恐れたオウディアスの命によって、誰からも口を聞いてもらえなくなり、教会の司祭にすら懺悔を聞き入れてもらえません。
彼はロイの孤独感と、彼が神に見放されたと感じている現在の心境を表しているキャラクターだと思われます。
ダーウィンと猿のウォレス
ダーウィンのモデルは言うまでもなくイギリスの学者チャールズ・ダーウィンですが、実は相棒である猿のウォレスにもモデルがいます。
ウォレスのモデルはイギリスの生物学者アルフレッド・ラッセル・ウォレスでほぼ間違いないでしょう。
ウォレスはチャールズ・ダーウィンの友人で、ダーウィンとは違う流れで独自に「自然選択」を発見し、さらにはダーウィンに「進化論」の発表をも促しています。
ダーウィンと並んで「進化論」の発見に大きく貢献したウォレスですが、ダーウィンの陰に隠れてしまい今日では彼の功績を知る人はほとんどいません。
ロイの物語に登場する猿のウォレスも自分のアイデアをほとんどダーウィンの手柄にされてしまい、他の登場人物たちにもウォレスの活躍は全くといっていいほど認知されません。
この2人もある意味搾取する側とされる側の関係です。なのでロイが共感しているのはダーウィンよりむしろウォレスの方なのでしょう。
黒山賊
黒山賊はロイと同じくリー・ペイスが演じている事からもロイが最も自分を投影したキャラクターであり、ある意味、物語の中のロイ自身であると考える事が出来ます。
しかしなぜ物語の中のロイは盗賊なのか?
現実の世界でロイは、スタントマンとしての活躍と妻を主演の俳優シンクレアに奪われています。
なので彼の奪われたものを奪い返したいという願望から、自分を物語の中で山賊にしたのではないのでしょうか。
また黒山賊は仮面を着けていますが、仮面を着けているという事は誰からも顔を見られない存在である事、つまりスタントマンを表しているのだと思われます。
霊者(ミスティック)の正体
最後に登場する勇者は霊者です。霊者は他の勇者と比べて謎が多い人物です。
霊者とは一体何者なのか、結論から言うと彼の正体は蛇、それもただの蛇ではなく毒蛇です。
根拠としては、まず霊者は普通の言葉を話しません。しかしなぜかダーウィンだけは会話ができます。
ダーウィンが霊者と話せる理由は彼が動物と話すことができるから、実際彼は猿のウォレスと会話できます。
それに加え霊者は毒を食べてもしにません、実は現実の毒蛇も毒に対して免疫があります。さらに霊者が鳥を飲み込んでいる点も蛇の食性と共通します。
また霊者が蛇であると考えると彼が何故旅に同行するのかも分かります。
この映画では神に見放された人々が多く登場します。またアレクサンドリアが司祭にオレンジを投げている事から、人々の神への怒りや反抗する意志も描写されています。
そして旧約聖書において蛇は神の敵です。つまり霊者が旅に同行するのはロイに神への反抗する意志があるからなのです。
アレクサンドリアがEを3に見間違えるシーンの意味
それから劇中で毒蛇の他に毒のあるモノがもう一つ登場します。それがモルヒネです。
映画の中盤でロイは突然アレクサンドリアに物語を話すのをやめ、続きが聞きたかったら眠り薬を取って来るよう言います。
彼はその際、英語で“MORPHINE”と書かれた紙で名前を教えますが、字が汚かったためアレクサンドリアはEの字を数字の3と間違えてしまいます。
このシーンで彼が書いたEの字はやたらニョロニョロしています。おそらくこれはモルヒネ=毒蛇である事を表しているのでしょう。
またロイはモルヒネで自ら命を絶とうとしますが、じさつはキリスト教において神の意志に反する罪とされています。
つまり毒蛇は物語の中だけでなく現実の世界でも、神に逆らう意思の象徴として描かれているのです。
何故黒山賊はエヴリン姫を見て再び仮面を着けたのか
物語の中盤の場面で、黒山賊たちはオウディアスの車を襲撃し奴隷たちを解放します。その後オウディアスの倒すため車の扉を開けますが、中から現れたのは看護師のエヴリンでした。彼女は物語の中では姫という設定になっています。
このシーンで謎なのは、黒山賊が何故かそれまで外していた仮面を再び被る事です。
ロイは仮面を着けた理由を「姫を怖がらせないため。」と説明しますが、もし姫を怖がらせたくないのであればルイジが点けた爆弾の火を真っ先に消すはずなので、この説明もまた嘘でしょう。
おそらく黒山賊が仮面を着けた本当の理由は姫に心を奪われたからだと思われます。
先ほど仮面を着けるという行為は、顔の映らないスタントマンを表していると説明しました。そしてロイはスタントマンの事を搾取されている存在だと考えています。
なので仮面を被るという行為は何かを奪われたと捉える事ができます。そしてこのシーンで黒山賊が奪われたものがあるとすれば、それは彼の心しかないでしょう。
勇者たちが砂漠に捨てられるシーンの意味
エヴリンとの結婚式を襲撃された黒山賊たちは、皆捕らえられ鎖につながれたまま砂漠に捨てられます。そしてロイはこの場面を話しながら大量の薬を飲んで、自ら命を絶とうとします。
この場面は最初のアレクサンダー大王の物語と状況が似ています。なのでこれはロイが本来の目的を達成出来た、という事を表しているのでしょう。
だからこの場面で兜に入った水を捨てる描写が再び登場するのです。
キリストの十字架が何度も登場する理由
『落下の王国』の舞台はキリスト教系病院であり病院の至る所にキリストの十字架が飾られています。
基本的にアレクサンドリアの真上に十字架が飾られているシーンが多いのですが、これは神は全てを見ている事を表していると思われます。
映画の序盤に、司祭が老人の持つカードの絵柄を当てるシーンがあるのも同じ理由でしょう。
これらの演出は一見するとアレクサンドリアが神の加護を受けている様にも見えます。しかしよくよく考えてみると、この映画の中で神によって救われた人物は一人もいません。
つまりこの演出は神が人々を見守っているという意味ではなく、見ているだけで何もしてくれないという皮肉が込められているのです。
アレクサンドリアが見る走馬灯の意味は何なのか
アレクサンドリアはじさつに失敗し絶望しているロイのために、再びモルヒネを取りに向かいます。しかしその際彼女は、薬棚から落ちて大怪我を負ってしまいます。
この落下の直後に彼女が見る走馬灯の意味について解説しましょう。
義足が壊れるシーン
最初に見るのは義足が落ちてバラバラに壊れる様子で、その後車輪に足を踏まれたり、足を切られたりと、いろいろな方法で足を痛めつけられるシーンがあります。
このシーンの意味については、映画の序盤で片足の俳優がロイを慰めようとして言ったセリフにヒントがあります。
彼はロイに「悪く考えるな何が幸いするか分からん。俺も事故の前は全く仕事がなかった、だが今じゃ無法者に足を切り落とされる役、馬車に轢かれる役、ノコギリで切り裂かれる役、銛で突かれる役まである、売れっ子の役者だ。」と言っています。
つまり義足が壊れるシーンの意味は、アレクサンドリアが再び落ちてしまった事は一見すると不幸な出来事だが、それによって良い事が起こるかもしれないという事です。
ではその良い事とは何か、それはロイが生きようとしなければならなくなった事でしょう。
ロイの罪
彼はアレクサンドリアを自分のために働かせ、挙句の果てに大怪我をさせてしまいました。
これは彼がこれまで受けてきた扱いと何ら変わりません。彼はいつの間にか自分が最も憎んでいた存在になってしまっていました。
しかしアレクサンドリアはまだ子供だからその事が分かっておらず、こんな目にあわされてもまだロイを救おうとしています。
なのでロイは罪を償うため、じさつをやめて生きようとせざる負えなくなります。
馬が走るシーンの意味
次にアレクサンドリアが父親を失った際の記憶がよみがえり、さらにたくさんの馬が走っているシーンが登場します。
ロイが話すアレクサンダー大王の物語の中で、大王は馬を失い何処へも行けなくなっています。
つまりアレクサンドリアの父親が亡くなった時に馬を盗まれたり、ロイがスタントで大怪我をした時に馬がしんだりしているのは、彼らが過去に捕らわれてしまい進めなくなっている事を表しています。
なので走馬灯の中に馬が走っているシーンがあるのは、彼女が過去を乗り越え心が再び動き出した事を表しているのです。
ではなぜ彼女は過去を乗り越える事が出来たのか。
アレクサンドリアはどのように過去を乗り越えたのか
ロイは孤独な上に、神にすら見放され人生に絶望しています。その様子を見たアレクサンドリアは彼を救えるのは自分だけだと考え、頼まれてもないのにもう一度薬を取って来ようとします。
アレクサンドリアの父が死んでしまったのは、彼女が馬が盗まれそうになっているのを、父に伝えてしまった事が原因の一つです。
彼女はその事に強い罪悪感を感じていました。しかし父親の様な存在のロイを救うために危険を冒した事で、罪の意識から解放されます。
また彼女はそれまで搾取されるだけの存在でした。しかしロイのために薬を取りに行ったことで、彼女の行動は搾取から奉仕へと変わったのです。
つまり彼女は奪われる側から与える側へとなる事で過去を乗り越えたのでした。
何故アレクサンドリアは氷を舐めていたのか
走馬灯は途中からストップモーションの映像へと切り替わりますが、そのタイミングで氷が溶けて中から人形が出てくるカットが入ります。
映画の序盤にはアレクサンドリアが氷配達人の氷を舐めるシーンがあります。またロイの物語の中でも氷を舐めるシーンが登場します。
おそらく氷は過去を克服できずにいる、止まってしまった彼女の心を表しているのだと思います。なので彼女が氷を舐めていたのは、それを解かすためなのでしょう。
だから氷が溶け人形が出てくるシーンも、彼女が過去を清算できた事を表した演出なのです。
勇者たちの最後について
アレクサンドリアに大怪我をさせてしまったロイは、罪悪感から彼女の望みを全て聞き入れざる負えなくなります。
なのでアレクサンドリアに物語を最後まで聞かせて欲しいと頼まれた彼は、初めて彼女のために物語を語ります。
過去と向き合うロイ
物語はいよいよクライマックスを迎え、勇者たちはオウディアスの砦へと攻め込みます。しかし彼らは戦いの中で次々と悲惨な結末を迎えていきます。
結末に向かうにつれて物語が暗くなっていくのは、ロイが自分の過去と向き合い清算しようとして苦しんでいるからです。
勇者たちはロイがこれまで果たせなかった思いや、向き合えなかった過去を乗り越え成長して物語から去っていきます。
例えばウォレスの手柄をずっと横取りしていたダーウィンは、最後にウォレスに謝ってから亡くなります。
これは自分の手柄を横取りされていたロイの認められたいという願望が、物語の中で成就されたという事なのでしょう。
さらにインド人は自ら高所から落ちる事を選択し亡くなりますが、これはロイが落下の恐怖を乗り越え再びスタントをする覚悟が出来た事を表していると思われます。
また勇者たちの中でも特に異様な最後を迎える霊者についても解説したいと思います。
霊者が鳥を吐き出すシーンの意味
霊者はルイジが自爆した際の爆風に巻き込まれ入れ歯を吐き出してしまい、その後やってきた兵士たちに一方的にやられてしまいます。さらに彼は兵士たちに痛めつけられながら、腹の中にいた鳥を吐き出します。
先ほど霊者の正体は毒蛇だと説明しましたが、牙のない毒蛇は全く怖くありません。序盤では一人で何十人もの兵士を倒していた彼が、歯を失ったとたん急に弱くなってしまうのはそのためでしょう。
また霊者が鳥を吐き出す理由についてですが、その答えはエヴリンが黒山賊と会話するシーンに隠されています。
彼女は会話の中で自分を籠の中の鳥に例えていました。なのでそれを吐き出すという事は、ロイが失恋を乗り越えた事を表しているのでしょう。
再び立ち上がるロイ
黒山賊とアレクサンドリアはついにオウディアスのもとへたどり着きますが、オウディアスの待ち伏せにあい黒山賊は水中に沈められそうになります。
この場面は、ロイが鉄橋から河に落ちて溺れそうになった時と少し似ています。
しかし過去を乗り越えたロイは、アレクサンドリアのために再び立ち上がる決断をします。
オウディアスにとどめを刺さない理由
黒山賊はオウディアスに勝利しますが彼にとどめを刺したりはしません。さらにその後エヴリンが再び黒山賊と寄りを戻そうとしますが、彼はそれを断り、彼女がつけていた金のペンダントを投げ捨てます。
彼のこれらの行動には、ロイが自分はもう決して搾取する側にはならないという意思が込められていると思います。
つまりロイもアレクサンドリアと同じく与える存在へと成長する事が出来たのです。
最後に皆で映画を見るシーンの意味
ロイが物語を語り終えた後、病院で映画の試写会が行われます。
先ほども説明したようにこの映画で神は見ているだけで何もしてくれません。では人々は何に救いを求めればいいのか、それは物語です。
ロイもアレクサンドリアも物語を紡いでいく中で、奪われる存在から与える側へと成長し救われていきます。そして今度は病院の人々に映画を通して救いを与えていきます。
ラストシーンではスタントマン達の生き生きとした活躍シーンが流れます。スタントマンは、けして搾取される存在ではなく、彼らもまた映画を作っている人々なのです。だからこそアレクサンドリアは最後に言います「ありがとう、ありがとう、どうもありがとう。」と。

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